でかい画像、SNS、距離
今は2020年4月24日です。
Facebookを開いたら「Stay Home/ムダな外出する奴はいねぇが」と書かれたナマハゲのイラストが目に入った。「不要不急そうな集団を見かけたらどうぞ」という説明がついていて、「近所の公園に貼りたい」などのコメントも続々ついていた。
Facebookは、クリックしなくても画像がかなりデカく表示される。
スマホの画面いっぱいのナマハゲ。しかもそれを描いたのは、どこか知らないネットの人ではなくて、顔見知りの人。
Stay Homeを自らに課すことと、外に出て楽しそうにしている人を非難することは同じではないし「不要不急」は他人に規定できることではない。しかし、外で遊んでるのは悪党だから非難してもOK、みたいな空気あるのつらい。そんなことばかり考えているのにナマハゲに正面から向き合ってしまったから、ぎょっとした。
投稿やコメントへの返信をよく読むと「笑ってほしくて描きました」というようなことも記してあったので、この絵はカリカチュアとして、みんなStay homeしてよね!みたいな軽い気持ち(?)をカジュアルにイラストにしたものなのだと思う。外出てるやつは処刑というんではなくて。でも英語の「Stay Home」って、命令の響きもあるよね。
投稿主はそれなりに言葉を交わしたことのある相手だから、ソフトにコメントしてみようかとも思う、でも、うまく自分の意見を伝えて、議論ができるのか自信はない。
それでも、口を開くことは今必要なことのようにも思える。違った感覚を持つ人と各々の考えを交換し合うということはオンラインではとても難しい。でも、オンラインという場所しか持っていないのなら、その議論に向かない場所で議論をしていくしかないのかもしれない。当面の間は、やっぱ疲れるねとか言いながら、オンラインで気を遣って、言葉を尽くしていくしかなさそう。
(その後、かなり迷ったけど、「これを見て笑ってほしい」という点を信じてめちゃくちゃ曖昧なコメントをしてみた。この後どうなるんだろう。)
はてなブログに書き始めたのは、Twitterに考えたことを書いていて、ちょっと他の場所に移した方が良いなと感じたからだ。考えを書いても誰かから応答があるわけではない、あるかもしれない、Twitterはそういう場所だ。適当なことを書いて、適当に置いておけばいいと思ってはいるけれど、うっかり炎上するかもしれない。炎上しなくても、今しがた自分がしたツイートについて「あの人は快く思わなそうだな…。」とか友人の顔と一緒に思い浮かんでしまう。だから誰からも嫌われないように、書いては破棄し、言葉を替えて、替えてを繰り返して、何がしたいんだかよくわからなくなった。でも今の自分の記録と発言をしておきたかったので、はてなブログをはじめた。
自分のツイートが他人にどう思われるか気にしてしまうのは、誰かのつぶやきを見て、自分自身が「ああ、この人はこういう感じか〜」とか思ってしまっている裏返しだ。短い文章の後ろには経緯とか価値観とか一義的でないものがたくさんあるし、短い文章から私が読み取ったことは、私が読み取れることだけにすぎないのに、大なり小なり他人を判断している自分がとても嫌だ。
私はラジオやpodcastが好きなのだが、その理由は「短くない」というのが大きい気がしている。2時間や3時間、しかも毎日とか毎週とか毎月とか聞く。第一印象ちょっと苦手ぽい声だったり、面白い!という印象がなかったとしても、量聞けばだいたい好きになる。聞きかじった全てのラジオ番組やpodcastについて、全部量を聞けてるわけじゃないから、詭弁といえば詭弁だけど。
その時の気分や体調で好きも嫌いも簡単にひっくり返るし、そのことをわかってラジオを聞いているから「ラジオを聞いて何か考える」という行為について、自分がある一定の誠実さを持てていることに安心できるのかもしれない。
さっきFacebookの画像でかく表示されるよねって書いたけど、Facebookの投稿欄に短いテキストを入力すると色とか柄がついて文字がでかくなる機能も圧が強い。短いつぶやきがポスターの標語のように拡声される。Facebookはそういうコンセプトでやっててるのだろう。
そんな感じで、SNSの距離とか声の大きさのことを考えた1日だった。
最後に、シカゴに住んでいるアーティストGina Wynbrandtのコミック『household items i've become friends with』のことを書いておきたい。(4/24 深夜、CosmopolitanのInstagramストーリーに掲載された。イラスト5枚。)
5/9追記:Instagramの方は消えてしまったけど、こちらで全部見られます。
Ginaは、ある日願いが叶ってジャスティン・ビーバーのトイレになった女の子や
3000日も恋人がいないと悲しむ女の子など
セルフポートレートのようなキャラクターが主人公の漫画を描いている。キラキラしすぎてなくて、自虐的だけど、そこまで悲壮感がない。そのGinaの新作。(彼女自身は、控えめで優しいのに趣味は全く控えめじゃないというか、めちゃくちゃ過剰なものを愛しているすてきな女性だ。彼女とキャラクターの外見は似ているけど、完全に重なっているわけではない。エッセイ漫画というよりはフェイクドキュメンタリーっぽい?)
この状況下で、何か有意義なことをしなくては!とか、生産的であらねば!とか、そういう気持ちが強い。それは自分の生活の推進力になってくれているけれど、めちゃくちゃ本を買ったり、大学のウェブセミナーに参加してみたり、バイトやブログをはじめたり、そういうのはやはりエネルギーを消費する。
いつまでも綺麗にならないピーナツバター専用スプーンや、人の形に整えた洗濯物の山を「friend」として慈しむというのは、超怠惰で、でもめちゃくちゃにやさしくて楽しい。なんか、私も、1日に2時間くらいはそういう感じで居ようと思った。
(でもGinaに連絡して、これ翻訳して私のインスタでリポストしても良い?とか聞いてせっせと翻訳してしまった。Ginaありがと〜)