日記 2021年7月21日 日記というもの
突然だが、日記をここに書くようになったのは、友人の谷田部美咲が #31diaryというハッシュタグをつけて日記漫画を描いていたことがきっかけだ。
#31diary
— 谷田部美咲 (@misaki_yatabe) 2021年6月28日
他人の会話、一度気になったらずっと耳に入っちゃう説... pic.twitter.com/1DdzOXZaHT
その前には、福尾匠さんの日記、
7月19日 https://t.co/GK4egrIBTr
— たくみ (@tweetingtakumi) 2021年7月19日
および福尾さんのホームページ内にある日記掲示板も見ていたし、
タバブックスから出ている本『コロナ禍日記』も読んだし。
植本一子さんが自費出版で出された日記本『個人的な三月 コロナジャーナル』
も読んだ。
最近だと、noteからはてなに引っ越されたドーナツさんの絵日記もとても素敵で、毎日読んでいる。
我ながら他人の日記をたくさん読んでいる。それで、自分もとりあえず谷田部に倣って31日、続けばもっと書いてみようかなと思ったのが、これを始めたきっかけだ。
多分そのひとにとって、それぞれの日記は「日記」以上でも以下でもないのだけれど、それが私にとっては「日記」という言葉から思い浮かんだもの以上にすごく豊かなものであった。
隙があればツイッターを眺めてしまっている私だけれど、日記は、ツイッターよりも長い文章で綴られ、ツイッターよりも少し閉じたスペースで語られているこれらの日記は、私にとってとてもちょうどよい距離感で誰かの生活や、考えを知ることのできる素敵な場所だなあと気づく。
オリンピックやコロナの色々で、私のツイッタータイムラインは洪水のようだ。(どう考えても3000人近くフォローしているのが原因だが…。)過激な意見も、綺麗な景色も、スプーンが二の腕にくっついてる写真も、どうどうと流れてくるので、感想をもったり考えたりする暇もなく、ただ毎日それを眺めては混乱している。なんでそんなものを見てるんだろうと自分でも思うけれど、中毒なのだ。いつか、ツイッター見ないで1日過ごせる日が来るだろうか。なんて恥ずかしいことを書いてるんだろうなあ私は…。
この日記が、少なくとも、いつか自分で読み返してふーんこんなこと考えてたんだ、と思えるくらいの日記になっていればいいなと思っています。
今日はここまで!
日記 2021年7月19日
また寝てしまった。
今日は、オンラインレッスンだった。今は二人の先生にレッスンを受けていて、一人はがっつり教わる方で、もう一人はおしゃべりする相手、という感じだ。今日はおしゃべりの方の先生で、自分のしゃべりっぷりを褒めてもらって自信が少しずつつきつつある。
今日はこの辺で。
日記 2021年7月18日 夏の装い
今日の昼ごはんは、バスに乗って隣町のベトナム料理屋に行った。今日は、めちゃくちゃに暑くて(「めちゃくちゃ」という言葉は、普段よく口にしてしまうので書くときはあまり使わないようにしているんだけど、今日はめちゃくちゃに暑かった。)バス停から家までの往復がなかなか辛かった。もう本格的に夏だ。
暑いのは苦手だけれど、去年買ってあまり使っていなかった日傘をさして、持っている中で一番裸足に近いサンダルを今年初めて履いて、ようしと意気込んで出かけたので、夏のお出かけという気分を満喫できた。
普段、Tシャツ・すっぴんで仕事しているし(最初はお化粧していたのだけど、職場の女性ほぼみんなすっぴんで、その上マスクなのでだんだんしなくなってしまった…。)見た目にすごーく気を使っているという方ではないのだけれど、やはり目的をもって服を選び、それを身にまとって出かけることは愉快、ということに久しぶりに気づいた。
そういえば昨日、チェコ語で『マスター・オブ・ゼロ』を観ようと思う、と書いたけど、チェコ語があるのは字幕だけだった。そうなると英語音声+チェコ語字幕というわけのわからない感じになるのでそのチャレンジはやめた。おとなしく英語でもう一回観よう…。
今日もシャドーイングをやった。繰り返しすぎかもしれないが、先週から同じ素材で練習を続けていて、スクリプトを覚えつつある。文字を読み上げればrとlは間違えずに発音できるのだけど、シャドーイングだとやはりまだ間違えてしまう。間違えて覚えてそれが癖になってしまっている単語がいくつかある。もう少しうまくなったら録音を先生に送ろう、あと一回、あと一回、とテイクを重ねすぎたので、明日こそ送ろうと思っている。
今日はここまで!
日記 2021年7月17日 何者でもないこと、マスター・オブ・ゼロ
1ヶ月前くらいから少しずつ観ていたドラマ『マスター・オブ・ゼロ』を観終わった。
結論から言うと、すごく好みだった。30歳前後の主人公たちに自分の人生や決断を重ねながら観た。そして、たくさんの場面で大いに笑った。
このドラマを誰かに紹介しようとすると、恋愛や結婚や出産、30代になると決めなくてはいけないとされているようなことの色々をテーマにしつつ、マイノリティとしての暮らしや、レイシズム、セクシズムにも触れていて深みもあって…という褒め言葉がたくさん出てくる。もちろん、ウーンと思うところもあったんだけれど、1話ずつ大事にこのドラマを観ていく1ヶ月はとても楽しいものだった。どういうところが良かったか記録しておく。
(以下、ネタバレになるので注意!)
日本語では『マスター・オブ・ゼロ』となっているタイトルは、英語では『Master of None』で、"Jack of all trades, master of none"( 何でも屋のジャックは、何一つマスターしていない=多芸は無芸)ということわざから由来しているそうだ。
このタイトルが何を意味しているのかは、調べてみたがよくわからんかった…(各話が Master of None presents…となっているのも気になるポイントだった。Master of Noneである製作陣が贈る…ってこと?)
しかし、観ている間、このタイトルの影響もあって、何かのマスターになる、何者かになる、ということについて繰り返し考えた。
このことについて、特に印象的だったのは、シーズン3の最終話中盤でのデニースとアリシアの会話。
以下全て拙訳。
Denise:Yeah but then, I was shinier. I was about to glow up. And now, I'm just like everybody else.
(デニース:うん、でも私はもっと輝いてた。階段を上がる直前って感じで。でも今は、みんなと同じような人間。)
Alicia: And what's wrong with being like everybody else?
(アリシア:で、みんなと同じで何が悪いの?)
*like everybody elseは字幕では「ありふれた人間」となってた。なるほど~。
破天荒で規格外な人生を生きているわけではないし、何者でもないのだけれど、それで何が悪い?というのが、『Master of None』のタイトルの言わんとしてることなんじゃないかなあと思っている。
デフは、パスタ修行の旅に出て、パスタ作りを完璧にはマスターせず(おばあちゃんの全合格は得られず)にイタリアを離れるし、シーズン3では映画に出るほうじゃなくて経理部で仕事していることが明かされる。デニースは、ベストセラー作家になったけど2作目が奮わずオフィス勤めになる。そうやって like everybody elseになっても、何が悪いのよ、ということ。
これは漫画『A子さんの恋人』で、U子ちゃんが言う(海に出ていなかったとしても)「かわいそうじゃない」という言葉と重なった。
(『A子さんの恋人』を読んでいない人には何のこっちゃの話だね…『A子さんの恋人』も、『マスター・オブ・ゼロ』と並んで30代での決断についての名作だと思うので、まだ読んでなくて『マスター・オブ・ゼロ』気に入った人はぜひ読んでほしい。)
特に何者かにはなっていないけれど毎日それなりに楽しく生きている自分にとって、とても元気付けられるメッセージだった。デフは司会者になれてるし、デニースは一度とは言えベストセラーを出してるけどね。比べるもんでもないが…。
何者かになるなんてどうでもいいし、でも目標を持っていてもいいし、それに向けて頑張ることは素敵なことよね、と最近思っている。
それと、「今が幸せということを大事にしようよ」というのもこの作品から受け取ったメッセージだった。
シーズン1の9話で、レイチェルとデフの会話。
Rachel:Did they live happily ever after?
(レイチェル:そのあとずっと幸せに暮らしましたとさ?)
Dev: Mmm, I don’t know about ‘ever after’, but they’re pretty happy now.
(デフ:うーん、「ずっと」かどうかわからないけど、今は幸せだよ。)
シーズン3の最終話でも、二人の関係が嫌な終わり方をしそうだというデニースに対してアリシアは言う。
In this moment, right?(…)We’re just two bad bitches laid up in these old people’s home.(…)And every thing’s wonderful
(今は、いい?こう考えよう(略)私たちは老人ホームに入ってる二人のビッチだって。(略)それで、全部が最高なの。)
二人の関係もパートナーが居ながら元妻と繋がっているわけで(それってどうなのよ)安定した関係じゃないんだけど、まあそれでも今は心配せずにこの幸せを楽しもうよということなのかな…と解釈した。
この先子供が欲しいかとか、こんなはずじゃなかったとか(シーズン3でデフの彼女のレシュミが言うセリフよ…!)過去のことや未来のことを考えて不安になったり絶望したりしがちだけれど、そうじゃなくて今の幸せに向き合うってなかなか難しいけど大事なことよね…と素直に思った。
長くなってしまった。とにかくいいドラマでした。
自分自身のことについてもいっぱい考えた〜、お腹いっぱいです。語学の勉強になるかなと思うので、チェコ語の吹き替えでもう一回観ようと思っています。
日記というか感想だったね、今日は以上!
日記 2021年7月16日 蛇
今日はパートナーが家に居なくて、そうすると一気になんだか張り合いがなくなって何もする気がせず、仕事終わりに読書、勉強、何かしようと思っていたのだけどシャドーイングだけやってゴロゴロしたりドラマを観たりしていた。
毎度、シャドーイングの後は録音した音声(自分の声)を聞き直しているのだけど、今日はなんだか、本当に下手くそだなあという気持ちが満ち満ちてきて、嫌になってしまった。
チェコ語の発音、そこまで上手ではないという自覚はあったのだけれど、今日は特にすごく下手くそなような気がしてきてしまった。萎える。先生に録音を聞いてもらう予定なので、客観的に評価して、褒めてもらったり改善点を教えてもらったりしようと思う。細かい発音とかじゃなくて、抑揚の問題かもしれない。
あと、今日は「蛇のもらい手を探す」という人生で一度あるかないかのことをやったので記録しておく。友達がもらい手を探していて、それを手伝った。詳細は省くが、蛇をすでに飼っていて飼育に慣れているという良いもらい手が見つかった。蛇が幸せに生きてくれればいいと思う。
最近、自分の周りで子供をもつ人が多い年齢になったのもあり、命を授かるとか、育てるということについてよく考える。何か他の命を育てること、その責任は巨大すぎて、引き受けるのは一生難しそうな気がしている。蛇のもらい手を探しながら、そんなことを考えていた。
日記 2021年7月15日 健康
健康診断の結果を聞きに病院に行った。
結果は、いたって健康、これまでの病歴を考えて不安な数値もあったんだけれど全て正常範囲内で安心した。
私の住んでいる地域は、健康保険に入っていると健康診断を無料で受けられる。私はフリーランスでバイト先でも検診がないので、この自治体の検診を受けているのだけれど、20代で受けに来るひとは珍しいと言われた。毎年同じことを言われている。
みんな検診受けてますかね、自分は体が弱いし、結構大きめの病気が検診で見つかったことがあるので、毎年受けようという意識があるけれど、そうじゃなかったら受けてないかもな〜、面倒臭いもんね。
自分の雑誌『tanec』を紹介していただいたビッグイシューをいただいた。
究極の自由メディア『ZINE』という特集内で、野中モモさんが選んだZINE6冊のうちの一冊として紹介していただいた。こうして紙媒体で紹介してもらえること、とても嬉しい。もちろん、ネットの感想も超嬉しい。ビッグイシューは新宿で何度かかったことがある、買うことに意義がある雑誌なので、販売員さんを見かけたら私も買ってみようかな。
今日の日記はこれで終わり。ほんと中身のない文章しか書けてなくて、これをネットに公開している意味…と思うんだけど、まあ続けてみます。
日記 2021年7月14日
珈琲屋さんに行って、読書をした日だった。
今年に入ってから気に入って通っている珈琲屋さん(カフェというより珈琲屋さんである)。バーの間借りで昼間だけ営業しているお店だ。店員さんはいい感じの距離感で(そんなにはなしかけてはこないけれど顔は覚えてくれている)、店内が割と広いのでいつ行っても座れて、隣の人との距離も取れていて、何よりコーヒーとケーキが美味しい。値段は安いわけじゃないけど、だからなのか静かに過ごせる。こういう場所を作ってくださってありがとうという気持ちでいっぱいなのだけれど、今お店は1周年を迎えたとかでドリップパックを頂いたり、割引をしてもらったりして、さらにありがたい限りだった。
カズオ・イシグロの『クララとお日さま』を読んでいる。今読んでいるのは物語の中盤で、主人公のAI子守ロボット・クララと、その主人(?)の女の子ジョジー、そしてジョジーの友達のリックの関係性が深まってきたころ。これからどういう風に物語が進んでいくのかな、というところだ。読み終わったら感想でも書きたいと思うが、書けるのか自信がない。以前も書いたけれど、最近「感想」というものにめっきり自信がなくなってしまった。前は感じたことをもう少し言語化できていた気がするんだけど、今はそれができる自信がまずなくて「面白かった」くらいの言葉しか出てこないような気がしている。と、書いていると、そんなことはどうでもいいからとにかくなんか書けよ!という気持ちになってきた。頑張ってみます。
チェコのコミックス『ČÁSLAVSKÁ』を読み始めた。
自分で作った雑誌でこの本を紹介したのだけど、パラーっとしか読めていなかったので真剣に読み始めた。64年の東京オリンピックで活躍したチェコスロヴァキア(当時)の体操選手ヴェラ・チャースラフスカー(ベラ・チャスラフスカという表記が日本だと一般的らしいが…)の人生の物語を綴ったコミックス。
prostná=ゆか(体操競技)なんて単語と出会いながら読んでいる。語彙が少なすぎで本を読むのにすごく時間がかかるので、3ヶ月で読み切るという目標を立てた。期限があると頑張れる気がする。数えてみたら全部で170ページ弱だったので、1日に2ページくらい読めば大丈夫、という計算。さてさて、10月14日の私よ、どうなっているでしょうか。白状すると、チェコ語で長いコミックスを読みきったことがないので、これを読めたら自信になる気がする。見守っていてください…。